紫萌黄染分山繭縮緬地流水草木屋形虫籠模様
前回の続きです。
東京国立博物館の小袖を見ながら、「着物の下克上」という言葉が浮かびました。下に着ているものが上、つまり表に出てくる、主役になる。衣服も時代につれて変わるさまを表現した言葉です。
私が考えたことばではなく、いつかはわからないけれど何かで読んだはず。その答えが年末の大掃除をしていて解決したのでした。
本棚の奥行があるので本を前後2列に並べているところ、奥までホコリを取ろうと掃除をしていて高校生の頃に買った本が目に止まったのでパラパラとめくっていたら、ありました。
「…武家階級の台頭による服装の簡略化の波に乗ってやがて華麗な”小袖”にへんしん、現代の着物につながる美しい花を咲かせる。
”きもの下克上”が始まるのである。」
それにしても、長いタイトルです。
紫萌黄染分 色の説明
山繭縮緬地 素材の説明
流水草木屋形虫籠模様 模様の説明
最初の画像は前半、「流水草木屋形」後ろ裾近くの柄をの説明しています。腰下は藤をのせた檜扇が描かれており[藤裏葉』を主題として」いるとキャプションにありました。
後半の「虫籠模様」その上の部分、萌黄と紫との境界線近くの柄で、次の画像です。
虫はいませんね。
同じくキャプションによると
「菊・桔梗・芒と虫籠の模様で源氏物語の『野分』」を主題にしています。菊や桔梗は名前からは省かれていますね。これ以上増えて名前が長くなってもね。
この模様部分は白いところ以外は全て刺繍です。19世期、友禅染めといっても現代のものとは違い糊で防染して地色を2色に染める所まで、草花も屋形の虫籠も鮮やかな色で柄を際立たせているのは全て刺繍です。
染めで描かれた柄の中で白く残すところと、刺繍で色を差したところとのバランス感、糸を刺しながらだんだんと出来上がっていったのでしょうか。作り上げるのにどれくらいの時間がかかったのか。
なんでも簡単に画像のコピーやプリントができてしまう現代とはまったく違う物づくりの時間が流れているようです。
小袖の全体像は次の画像。
江戸時代のような手の込んだ美しい小袖を着ることができたのはほんの一握りの武家の女性たち。作り手側の女たちが着ていたつましい麻の着物についても前述の「おんなの服飾史」で述べられています。
江戸時代の小袖が今の着物の原型といわれるように、柄も何百年と受け継がれています。工芸品よりは工業製品に近くなったとしても同じように流水や草木の柄は定番として残っているのでしょうね。
次の画像はそういう現代の着物の柄です。
御所解き風の着物はメルカリに出品しています。
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